親密さと羞恥心-境界線と秘密をめぐって

 周りの人は気楽に人とつきあい生きているように見えるのに、自分は孤独で 寂しく苦しくて仕方がない。絶えず「親しい人がいない…自分の存在を消した い…わたしが生きていては迷惑になるばかりだ…自分の存在が恥ずかしい…自 分は出来損ない人間だ」と感じてしまうわたしがいます。これは過度の罪悪感 とは違う過度の羞恥心が原因しているのかもしれません。  罪悪感が、何らかの行為をしたことあるいはしなかったことについて引き起 こされるのに対して、羞恥心は自分の存在に対して引き起こされる感情です。 特にこの感情は赤の他人に対しては起こりにくく、ある程度自分に期待を寄せ てくれるような人との間に起こってくる感情です。自分が期待を裏切っている と感じる時、また大抵は自分が秘密にしていたことが知られてしまって自分の 本性がばれてしまったと感じる時に起こりがちです。このような感情が強くな ると「もう学校に行けない。集会には行けない。誰にも合わせる顔がない」と 感じ「自分はダメな人間だ」といったレッテルを自分に貼りやすくなります。 ではこうした羞恥心とどのように付き合ったらよいかを考えておきましょう。  もちろん、親しくなりたい人に自分のいやな部分を隠し通し、良い面だけを 見せて生きることは出来るのかも知れません。でもいつ自分の本当の姿が知ら れるかが恐ろしいし、黙っているのも苦しいので、結局親しくなりたいと思っ ている人から自分を孤立させてしまいます。自分をさらけ出すことは、ほとん ど普段接触のない人であれば出来ます。  もちろん誰に対しても自分をさらけ出す必要はありませんが、もし本当に親 密な関係に入りたい相手の場合には、わたしたちは自分の恥ずかしさに耐え て、それを徐々に明らかにしていかなければなりません。自分の秘密、本当の 自分、自分のプライバシーを分け合っていくこと、これが自分の居場所また友 だちを作っていく大切な方法なのです。