思春期のICのストロークと健全なガイドラインとは?

私のすることは私である。それが私の存在目的だからだ!私には今みつけることのできない私の部分がある。残されている私の部分だけで、それが私だとい得るのだろうか?どれほど親に引きずられたことか!私は心の故郷を捜し求め私を創造した本当の親の元に今もどろう! 思春期―大人になる備えをさせる時 旅行で熱帯の島から北極圏に入ったとしましょう。飛行機を降りると,極寒の気候の寒さが身にしみます。順応できるでしょうか。大丈夫です。でも幾らかの調整は必要でしょう。 子どもが思春期に入る時に親が直面する状況も,それに似ています。一夜にして気候が変わってしまったように思えるかもしれません。いつもあなたにまとわりついていた男の子は,今では仲間と過ごすことを好みます。その日にあったことを話したくてうずうずしていた女の子は,そっけない返事しかしません。 母: 「学校どうだった?」 娘: 「ふつう」。 「……」。 母: 「何かあったの?」 娘: 「別に」。 「……」。 どうなってしまったのでしょうか。「本音を読み解く」(英語)という本は次のように説明しています。「[少し前までは]子どもの生活の中でマネージャー的存在として楽屋まで入れたが,今では客席のチケットが取れればまし。しかも,あまりいい席は取れないだろう」。 もう部外者になってしまったのでしょうか。そうではありません。思春期を通じて,子どもの近くにいることはできます。とはいえ,胸が躍るようなこともあれば波乱もあるこの時期に,子どもにどんな変化が起きているかを理解する必要があります。 子どもから大人への移行期 研究者たちはかつて,人間の脳は5歳ごろまでにはほぼ形成されると考えていました。今では,脳の大きさはその年齢以降はあまり変わらないものの,働きとなると話は別であると考えています。若い人は思春期に入ると,ホルモンの大きな変化を経験し,考え方にも影響が及びます。例えば,子どもは幼いころには物事を額面どおり,ただ良いか悪いかという視点で見がちですが,思春期になると抽象的な考え方をするようになり,物事の根底にある幾つかの要素を比較考量できるようになります。 さらに,信念を持つようになり,それを言い表わすのをためらいません。 。もう小さな子どもではないのです。身体面の変化も見られますが,何より驚かされるのは考え方の変化です。思っていることをはっきり述べ,強く主張できるのです」。 思春期の子どもは納得のいく理由を求め,家族が指針とする価値規準を疑問視することさえあるかもしれません。その態度は親の目に反抗と映ることがあります。 とはいえ,お子さんが親の価値規準を覆そうとしていると早合点してはなりません。親の持つ価値規準を自分のものとし,今後の人生の指針にしようと模索しているだけなのかもしれません。こんな例で考えてみましょう。引っ越しで家具を持ってゆく場合,新しい間取りで家具を置ける場所を見つけるのは簡単ですか。そうではないでしょう。だからといって,大切にしている家具をすぐに捨ててしまうことはしません。 思春期の子どもも同じような状況にあります。『父と母を離れる』時に向けて準備を進めているのです。 その日はまだ先で,お子さんはまだ大人ではありません。それでもある意味で,荷造りを始めています。親に教えられてきた価値規準を,十代の時期を通じて確かめ,大人になった時にどれを持っていこうかと考えているのです。 いま親の規準を理由も考えずに受け入れているなら,後の人生で他の人の規準もあまり考えずに受け入れてしまうかもしれないからです 1 知覚力 何が正しく何が悪いかを教える。 2 大人からの導き 心理学者の中には,十代は“疾風怒濤”の時期になることを当然予期すべきだと言う人もいますが,そのような傾向が見られない文化圏が今もあります。研究者たちが分かった点として,それらの地域では若者が早くから大人として社会の一員になっています。若くても大人と共に働き,交流し,成人としての責任をゆだねられます。そうした社会では,「若者文化」,「青少年の非行」,さらには「思春期」という言葉さえ存在しません。 3 責任感 思春期の子どもは多くの場合,責任を担う意欲を持っています。責任を担うことには,人のためになる意味ある仕事をすることが関係しており,それを知ると子どもの意欲はいっそう強まります。子どもが責任を担うことは,将来,責任感のある大人へと成長するための訓練となり,いま本人の持つ良い資質を引き出すことにもなります。 子どもの十代の時期を,(1)知覚力を養うよう助け,(2)大人からの導きを与え,(3)責任感を持たせるための機会と見てください。このようにすれば,大人になる備えをお子さんにさせることができるでしょう。 ③DETACHING(子別れ)親からの卒業  口を出さない、外に送り出すことを喜ぶ  親密さを保ちながら、魂のふるさとであり続ける