わたしの中の他人の目、他人の声

 せっかくお気に入りの場所に座っても、音楽をかけてもくつろげないのはな ぜなのでしょう。頭にノイズ(雑音)が入って来る。それが騒がしくて落ち着 けないのかも知れません。「あんたなんか嫌いよ…生まれてこなければ良かっ たのに…太ってる…気持ちが悪い…」いつか誰かに言われた言葉がこだまのよ うに響いてきます。目をつぶると自分一人が置き去りにされた場面や、怒って いる鬼のような親の顔、小馬鹿にされた時の薄笑いを浮かべた誰かの顔、それ らが頭の中をぐるぐる周りするのでしょうか。何が問題なのでしょうか。これ らが、耐えられないほど強かったり、実際に耳に聞こえたり見えたりするので あればこれは幻覚です。医師と相談して薬を使って和らげてもらうことが必要 かもしれません。           しかし、あなたが出来ることもあるのです。「これを見ているのは他人の目 だろうか、それとも自分の目だろうか」と尋ねることです。「これを聞いてい るのは他人の声だろうか、それとも自分の声だろうか」と尋ねることも出来る でしょう。これらの声がたとえ誰か別の人の声で聞こえるように思えたとして も、あるいは完全に誰か別の人の声であったとしても、それはあなたの記憶の 中にあるものであり、それを呼び出しているのはあなた自身なのです。だから それをストップさせることも、それを受け入れることもあなた次第なのです。  あなたは実際に、かつて、その声を聞いた時があり、その顔を見た時があっ たことでしょう。しかし、それを聞いたり見たりした時と情況は大きく変わっ ているのではないでしょうか。立場を替えて考えてみてください。あなたが何 気なく話した言葉が誰かを傷つけ、あなたのした何かの何気ない表情が相手を 傷つけたことがあるとします。しかし、あなたはその人にずっと同じ感情を抱 き続けていますか。そのようなことはないでしよう。感情が変わりやすいこと はあなたが一番良く知っているでしょう。誰かが近づいてきて「八年前にわた しに言った言葉を覚えていますか…その時にした表情を覚えていますか…あな たはその時とちっとも変わらないはずです…キットそうです」と言われたら 困ってしまうでしょう。  傷つけた当人が再確認しない限り、その記憶と同じことを現在もその人が抱 いていることは大変にまれなことです。ですからそのことが現在でも間違って いないと信じているのはあなただけであることが多いのです。ところがその言 葉や表情が今もあなたを縛っているのです。  それであなたから安心できる場所を奪い、あなたを生きにくくしているのは あなたの考えと感情かもしれません。これを変えなければならないし、出来る はずです。他人の考えや感情は変えられません。でもあなたの考えとあなたの 感情とは変えられるのです。